前回のブログでは、父の自殺や暴走族だったときの話など色々なことがあったと書きました。
暴走族で色々な方に迷惑をかけましたが、一つだけ胸を張って言えるのは、人としての道を外したことは無いということ。
万引きしたり、金を巻き上げたり、弱いものいじめをしたり、シンナーや違法薬物をやったり…
昨今のX(旧Twitter)で流れてくるような輩では無かったと自分では思っています。
なにかあったら相談されるような存在だったと…
そんな私が適応障害です。自分は弱い人間だったんだなと自分を見つめ直しています。
暴走族だった私の最後は、2年生の夏に学校に警察が迎えに来てその仲間たちと縁を切ることになったということを前回書きました。
今日はそのことについて書いていこうと思います。
警察が学校に…
前にも書きましたが、私の父親は首を吊って自殺しました。残された家族は長男の私に母、弟が2人でした。
そんな家族を見捨てて私はやりたい放題の高校生活を送っていましたが、2年の夏に学校に覆面パトカーで警察が迎えに来たのでした。
珍しく真面目に授業を受けていた私が授業中にいきなり校長先生に呼び出されて校長室へ。
そこで私服警官2人に◯月◯日の暴走行為があった件で事情を聞きたいと説明され任意で警察署へ連れて行かれました。
覆面パトカーで…
色々取り調べを受け、2週間通ったと思います。数ヶ月前には指名手配(家に帰っていなかったため住所不定で…)されていたこともあった私は洗いざらい喋りました。
私は関係ないから…
結果、不起訴で私は無罪なのですが、学校に黙ってバイクの免許を取っていた件や、取り調べが初めて出ないことが学校にバレました。
そして、学校に覆面パトカーで警察官が2人迎えに来るという前代未聞の出来事…
私は退学だと思っていました。
しかし、父親が自殺してとか根は真面目で素直な子と私を庇ってくれた先生が多く居たことをあとから知らされました。
多くの先生に救われ
そのお陰で謹慎処分。しかも、学校の実習室で1人謹慎処分という監禁のような謹慎処分となりました。
そこで私は、色々な先生が入れ替わり来てくれて色々話ししてくれたりこのままでいいのか?
どこまで行くんだ?
と、私の為に泣いてくださった先生もいたり、色々諭してくださりました。本当にありがたかったと思います。
こんな私が真面目になるにはどうするべきか…
悩んだ結果、暴走族を抜けることにしました。チームを抜けるということは、それまで四六時中一緒に居た地元の友達たちと会いにくくなるということ。
寂しさは有りましたが、他の子と違うのは私は長男で母親と弟×2を見守らないといけないということを先生方から諭されました。
確かに!
暴走族を抜ける
それで暴走族を抜け一緒に悪さをしていた友人たちと縁を切ることになったのです。
そこら辺から私を気にかけてくれたのが、科は違うけど同じ学校に通う親友でした。
あのとき、捕まって先生方から救われていなかったらどこまで行っていたかわかりません。
暴走族だったときの私の友人達はその後全員捕まりました。
ノックアウト強盗だったかな?その時、私は県外で就職していて全くあっても居なかったのに取り調べが…
見た目や印象はかなり大事だと言うことを学びました。
そして、自分たちでシャレで作った暴走族だったのに、抜けるときも色々問題が有りました。
全く関係ない先輩がしゃしゃり出てきたり…
その話はまた後日に書きます。
私の人生は色々寄り道をしながら要領の良い人生とは言えませんが途中でいろんな方に救われながら前に進んできました。
今回、44歳で適応障害になってXで知り合った皆さんに救われていると思います。
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