適応障害と診断されて家で引きこもっている竹久夢藤です。
主にXで色々なことポストしていましたが、まさか自分がこんなことになるなんて思ってもいませんでした。
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私が適応障害になったのはビズリーチからの転職で、転職初日からいわれのない怒号、完全なアウェーの中での生活。
会社のレベルの低さ…先行きのない経営…
いくら高収入でもここまでとは…辞めたいのに辞めると伝えるとつぶれると…
この件については長くなるので詳細はまた後日に書きます。
自分は強い人間
自分は強い人間
私はそう思っていました。今までの仕事では、怒号が飛ぶなんてあたりまえ。納期が近づいてくればけんか腰にみんな仕事。
そんな会社で仕事をしていました。
残業時間は120時間を軽く超え、半年で家に帰ったのは正月のみ。しかもその間は休みなし・・・・・・
そんな厳しい状況でも、
「仕事が趣味なんで」
と、陰で泣きながら強がって仕事してきてました。
そんな私が、適応障害になるなんて・・・・・
妻も私の変わり果てた姿にびっくりしています。
自信満々で転職した自分ですが、ここまで追いつめられるなんて・・・・
しかも、仕事内容は想像通り楽勝で半年もあればれなりに・・・・と、いうかメインは顔をつないでいれば仕事をどんどんこなすだけという結構楽な仕事だと感じました。
これでこの給料なら申し分ない!と、思いいわれのないことで叱られたり、バカにされたりしても1か月自分を殺して頑張りました。
自分を殺して…
2か月たてばこいつは居なくなる。自分の好きにできると、言い返しもせず自分に噓をついて毎日毎日叱られに(本当に意味不明な叱られかた・・・)会社に行きました。
そうすると、ある日、仕事に行く車の中で涙が止まらなくなってきました。
仕事から解放され単身赴任先の家へ向かう車の中でも涙が止まらないんです。
負けん気が強く、今までバカにされたり煮え湯を飲まされても泣きながら3倍にして返してきた私。
今までも仕事で辛くて厳しいことはありましたが、こんなになったのは初めて。
いつの間にか、家でも急に泣き出す私。
家族は見抜いている
家族には、ばれないように電話の時は明るくふるまっていましたが、妻から
「大丈夫?なんかへんよ?」
と、声をかけられたとき、涙が止まらなくなり病院を診察したほうがいいと勧められました。
その結果、頂いた診断書が適応障害。
約1ヶ月休まして様子を見たほうが良いとの内容でした。
そのことを伝え、休むことはできないのでもう辞めると伝えたのですが、会社がつぶれると辞めることはできませんでした・・・・
うつ病や適応障害は気持ちの問題と思っていた私ですが、人間いつ私のようになるかわかりません。
自分は強い!と思っていても簡単にこんなことになり立ち直れなくなっていくのだな・・・・
ということがわかりました。この先どうすればいいんだ・・・・と不安ばかりですが、まずは適応障害を治して普通に生活できるように頑張ります。
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