ビズリーチのハイクラス転職で44歳適応障害になって妻子持ち無職ニート化した竹久夢藤です。
カウンセリング代わりに始めたこのブログ。
思い立ったら書いていくスタイルなので年代など前後しますが、思い立ったら書くとういうスタンスなのでご了承ください。
前回は転校が多くて幼馴染がいないということを書きました。
内容は若干違いますが…
で、今回書いていくのは私が中学を卒業してからの話しです。
私のX(旧Twitter)アカウントでは、父が自殺したということをちょこちょこ書きました。
で、今回は自殺した高校入学してすぐからのことについて書いていきます。
私が入学したのは工業高校機械科で、入学時の点数は10番だったと聞きました。そんなに勉強はしませんでしたが…
その年で高校受験失敗したの私だけだったという話しはまた後日。高専という国立の高校失敗組です…
で、勉強もしない私が工業高校に入学し順風満々な生活が始まった!と思った矢先の6月。
倉庫で見つかった父親
父親が自宅裏の倉庫で首を吊って自殺しました。そのことは長くなるのでまた後日書きます。
とりあえず私達家族は情緒不安定になったのと金銭面でかなり厳しくなりました。
少ない生命保険は騙され?保険に回され生活は大変なことに。これについても後日書きます。
で、父親が自殺して助けてくれたのは小学校で転向してからと中学から仲良くなった地元の友達でした。
私は父親の死の寂しさを埋めるべく長男なのにほとんど家に帰らず友達の家を転々といった生活。
父親が居なくなって不安な家族の頼りにしてた長男の私が…母親や弟たちには本当に申し訳ないことをしたなと…
そして深夜徘徊にタバコや飲酒。田舎の不良といえばこんな感じといったのをほとんどやってきました。
で、16歳になって原付きバイクの免許を取ったことをきっかけに世界はもっと広がりました。
今思うと寂しいときに寄り添って…
色々な仲間たちが増え、そのまま中型バイクの免許も取ってみんなでつるんで走るように。
そのままのノリで特攻服を作ったりして暴走族となっていくのでした。
自分たちで立ち上げた自分たちのチームでしたが、色々な先輩方が混ざってきたり反社の方から飲みに誘われたり。
色々なことが有りました。最近、叩かれるのでここでは書かないでおきます。
胸を張って言えるのは、人としての道を外したことはありません。万引きしたり、金を巻き上げたり、弱いものいじめをしたり、シンナーや違法薬物をやったり…
未成年のタバコ・お酒くらいはご勘弁ください。先生や警察、先輩など強いものの理不尽に立ち向かうみたいな…
そんな私が適応障害です。多分、いままで44年間自分の思うようにやってきた自分が自分に嘘をついて歯向かわなかった結果こんなことに…
暴走族だった私の最後は、2年生の夏に学校に警察が迎えに来てその仲間たちと縁を切ることになったのですが、この話もまた後日に。
バイトして買ったバイクは結局1年くらいしか乗ることができず、バイク生活もあっという間に終わりました。
バイクで走っているときは何もかも忘れて本当に気持ち良かったです。私は逮捕されませんでしたので前科は無しです。
しかし、その分たくさん警察にお金を払い18歳のときに取った自動車の免許では持ち点が0点から始まり、初心者マークやシートベルトで捕まるだけで免許取り消し…
あとから色々調べてみると、地元メインで集まっていた私達の実家は重点巡回ルートに指定されていたようです。
事あることに止められ顔を見たことあるとか無理やり違反箇所を…
その時、私達を解散させた(解散届を出したのニュースにも)徳島市内の責任者だった警察官は、現在私達の地元の警察署長に。
私が悪いが色々思うことはある
色々思うことはあります。
他にも、妻と結婚して初めて知ったのですが、職務質問を受けたり検問で荷物検査されたことが無いといいます。
実は、結婚後も私は検問で引っかかって車内確認とか…工具積んでいるだけで色々言われたり…
妻に聞いて以降、色々な人に職務質問の話しを聞きますが、される私が異常だったというのを知りました。
そんなスペックでスタートした社会人。前途多難ですがビズリーチでスカウトが来るくらいまでは成長したんです。
今思うと、金に負けてパワハラを言い返さず飲み込んだ結果、適応障害になってしまったのだと思ったり…
なんか題で書いたときと言いたかったことがちょっとずれてきた感はありますが…
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