「会社におんぶにだこはもう嫌だった」って。 そう思い寝る間を惜しんで副業を頑張った過去。
子供をお風呂に入れ21時に寝かしつけるのが私の仕事だった。
だから、朝4時台に起きて7時に家を出るまで毎日。それと土日の子供と遊んでいない間。
その結果、1ヶ月で10万円くらいは稼げるようになったころ。私は仕事でも着実にキャリアアップしていった…
思えば、ここが人生の失敗地点だったと思う。そのまま副業を頑張っていればこんな44歳で無職適応障害にはなっていなかっただろう…
しかし、雇われているということは自分の給料&会社の運営費くらいは会社にお金を稼がさないとただの給料泥棒。
だから副業を4時台から7時までやって会社の仕事もアホほど頑張った。
その結果、副業をする時間もないくらい仕事に追われ子供や家族にも会えない日々。しかし、副業より簡単に稼がせてもらいました。
雇われてお給料をもらっているから手を抜かない。それが普通だと思っていた。でも、いざ身体を壊しその環境を離れてみると、違和感があった。
会社の為に身を削って働いてきたけど会社は私を助けてはくれない…
これまでの人生、正直うまくいってないことが多かった。 高卒で44歳。学が無い分がむしゃらに働いてきました。
その結果、身体が悪くなり適応障害で無職になってしまっている今の自分がいる。
普通の人から見たら、私の人生は「下手くそ」でも、どこかで「これで良いんじゃないか?」と思う事も。
妻は私が適応障害になったとき、会社を訴えるとか傷病手当をもらうとか色々思っていたみたいだったけど、私はそれが嫌だった。
17年勤めた会社なら稼がせた自負はあるので傷病手当で…とか思うと思いますが、入社2ヶ月で適応障害なんて…
いくらパワハラだったといっても成果もあげていないのに会社におんぶにだっこは気持ち悪くて自分が駄目になりそうなので退職という道を選んだ。
「これからどうしよう?」という不安もあるけど、同時に○○会社の竹久から「竹久夢藤」という自由に生きられる可能性がある。
病んでいるからと会社や誰かに頼りっぱなしで生きるのは気持ちが悪いからどうにかできるように頑張りたい。
そして自分で自分を支えられるように、少しずつでも上を向いて歩いていきたい。
44歳、無職、適応障害。完璧じゃない下手糞な人生。でも、それが私の人生だし、ここからまた何かが始まるかもしれないって思っています。
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