仕事をしていた時、私は忙しさに追われ、毎日が過ぎるのをただ見ているような状態でした。
朝から晩まで働き、週末もほとんど仕事のことを考え、何年もそんな日々が当たり前の生活。
その生活が自分に合っていた。自分を必要とされていた。
そう感じることに生きがいを感じ今まで仕事をやってきた私。
しかし、そこまでやって身体を壊しても誰も助けてくれない…会社はもちろん自己責任だという感じ。
無職になってから、そこら辺の今まで見えていなかったことに気がついてきました。
仕事中心の生活を振り返っていた私は、家族との時間を過ごしいいことばかりではないと感じながらも家族はいいなとも感じたり。
特に、息子と過ごした時間が長くなった事を今になって後悔しています。
無職になった今、息子と右腕が不自由で一緒に練習はできませんが、しかし成長を近くで感じることができるのは大きな喜びです。
大好きな野球を思う存分やらしてやりたい。しかし、収入がゼロになったことで、生活費の見直しを忘れました。
以前は、必要以上のお金を使っていたことに気づき、固定費や無駄な支出を見直すことができました。
「本当に必要なもの」と「無意識にこだわるもの」の区別が明確になり、支出について考えることができたのは大きな成長だったと。
適応障害と診断されて無職になり、自分の心の健康にも大きな変化を感じました。
リラックスです。今では、心の健康を第一に考え、ストレスを軽減するための方法や時間を持つことの大切さを学びました。
妻も同じようにうつ病を抱えているため、今後サポートし合うことが大切になってくると思いながらまだ、解決策は見出せません。
精神疾患は精神疾患を呼ぶと感じています…介護疲れもそういうことなのかなとも最近思うようになってきました。
また、家で過ごす時間が大変な事で、家庭内での役割が変わりました。
今までは「稼ぎ手」として家族を支えていましたが、無職になってからは、家事や子供の世話といった役割を始めるようになりました。
最初は違和感がありましたが、これも家族の選択肢としての大切な役割だと感じるようになり、少しずつ自分の役割を再認識しています。
無職になることは一時ポジティブな体験ではありませんが、その中でも多くの気付きや成長があると感じています。
自分自身と家族を見つめ直すことができた事は、無駄ではなかったと落ち着いたら思うようになっていたいと思います。
毎日同じようなことばかり書いていますが。
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