私はいままでアホほど働いた会社に見切りをつけ、ビズリーチに登録してスカウトを受け転職を決意しました。
スカウトを受けたのは、M&Aで会社を買った社長さんから直接でした。
今までの経験を活かし、ゆくゆくは会社の経営をやってみませんか?
そういう話しで面白そうとZOOMで面接を行い、関東まで面接に行くことに。
行った先で面接をしていただいたのは、その会社を売った元社長さんで仕事の内容…
そして初めて聞いた今まで2人引継ぎに失敗したということ。
仕事内容は施工管理をしていたということもあり、発注側の仕事をしていたので引継ぎに問題もなく楽勝だと思っていました。
仕事は楽勝。給料も上がりハイクラスの転職に成功した!と思ったのも束の間、私に待っていたのは適応障害無職ニート化でした。
この経験を通じて、華々しい転職が必ずしも幸せなキャリアの道ではないと痛感しました。
今日はその「失敗」から得た教訓を共有したいと思います。
「ハイクラス転職」という響きに、多くの人が高収入、やりがい、成長などポジティブなイメージを抱くかもしれません。
実際、私もそのようなイメージに魅了され、自分のキャリアアップのために挑戦しました。
高い年収(高いといっても大手社員クラス)、スキルの活用、さらなる成長の期待など、すべてが素晴らしく見えました。
しかし、転職先で待ち受けていたのは予想以上のパワハラ。そして2人引継ぎを短期間に失敗している為、また??という元受けのアウェー感。
特に、適応するまでの短期間に何もかも完璧にこなさなければならないという要求に素直に対応していたつもりでした。
しかし、適応障害へとつながる大きな要因だったと今になって思います。
新しい職場に入ってすぐ、私はアウェーな環境に置かれました。
正直なところ、私は元社長の仕事は大変だろう?と毎回聞かれてもけっこう簡単だと思ってました。
一番大変なのは客先との付き合いだけだろうと…
この余裕感が癪に障ったのかもしれません…一生懸命やっていたのに…
口の利き方が悪い、仕事は見て学べと質問も受け付けてくれないので自分なりにやれるようまとめていきました。
着々と仕事が進むようになると比例してパワハラが強くなってきました。
日常的に行われており、心身ともに追い詰められた私は自分の限界を超えて頑張ろうとしましたが、無理をして心が壊れてしまったのです。
仕事内容は大変だけど前の会社に比べたら楽勝で、人付き合いや会合などが大変そうな感じでした。
仕事はこのままいけば楽で給料は上がり時給に直すとかなりアップする!なのに毎日不安感に。
そして職場に行くのが苦痛になり、眠れない夜が続きました。
そんな状態にもかかわらず、「自分が頑張らないと」と無理をしてしまいました。
最終的には心が限界を迎え、診断書をもらうことになりました。
この経験から学んだのは、どんなにハイクラスの転職や普通の転職であっても、引継ぎをしている間は出しゃばらない。
そう学びました。簡単にサクサクとやったら確かにいい気はしないと…
そして、高収入やステータスにこだわりすぎると見えない負担を抱えることになるかもしれません。
仕事をサクサクとやるといっても、私は無茶苦茶仕事ができる人間ではありません。
ギリギリ高卒の現場上がりの管理職。そんな私でも務まるリピートの多いスモールビジネスを確立してる(買った社長曰く)という会社に転職しました。
お客さんの規模は発注側だった私よりも少し楽な感じでこんなのでいいの??みたいに感じる仕事内容でした。
そんな仕事なのに適応障害…
自分自身を守るためには、仕事の条件や環境だけでなく、自分の心や体の声にも耳を傾ける必要があると思いました。
果たしてこのまま社長代理みたいな感じで付き合ったり仕事を受けていっていいのか?
引継ぎの元社長から毎日いわれのない叱責で自信を無くした私はこの仕事や人付き合い本当にできるのだろうか…
そう悩むように。そしたら人に会いたくないし電話も出たくない…そう考えるように。
また、「適応障害」という診断を受けたことも、今振り返ると「無理をするな」というサインだったのだと感じています。
無理をして働き続けるよりも、自分を大切にしながら働くことの方がずっと大切なのだと気づきました。
ハイクラスの転職は必ずしも「勝ち組」への道ではないと思うようになっています。
むしろ、自分に合った働き方や環境を見極めることが本当の意味での成功につながるのだと、この経験を通じて学びました。
適応障害から立ち直るためにも、無理をせず、自分に正直に生きることが大切だと最近思うようになってきてます。
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