明日食べるお米がない…そんな生活を皆さんはしたことありますか?私はあります。
44歳適応障害無職ニート妻子持ちの私ですが、あの時の思いを妻や子供にはさせたくない。
そう思い日々、立ち直るべくブログを書きながら現状打破をどうするか考えています。
ブログランキング参加中ですのでお興味ありましたらよろしくお願いいたします。
明日食べるお米がない。父親が首つり自殺をしてからそんなドラマのような生活をしていた高校時代。
家はもちろんぽっとん便所(実家は現在も母親が住んでます)、お風呂は湯舟なし…
同じ学校の同級生に知られるのがとても恥ずかしかった記憶があります。
幸い、地元が離れていたので一緒に悪さをするようになった友達たちはそんな環境を笑って温かく迎えてくれました。
今日はそんな
極貧時代のを書いていこうと思います。
父親の自殺後生活が一変
父親が自殺したのは私が高校に入学して2か月がたった6月。父親の稼ぎは一般よりもかなり低く、生活はギリギリ状態でした。
大きくなって明細を見つけたのですが、手取り16万くらい。当時は今みたいに引くものが少なかったのにも関わらず…
母親はスーパーへパートに出ていました。おかげで晩御飯はスーパーの売れ残り半額商品が多かったです。
なんとか生活は保たれていましたが、父親が自殺…そこから生活は一変してしまいました。
貯金もないのに毎月赤字…母親はまともに考えることもできず生命保険で入るお金は言われたままそのまま私たちに分配し生命保険へ…
手元にはお金があまりなく、父親の葬式代にも困ったほどでした。(坊さんからお金が足りないと請求されたのは後日書きます)
おかずは日に日に少なくなって行き、お米もなくなってきました…
父親の遺族年金が6万?入ってくるのですが男兄弟3人の食欲と学費や成長期の衣服はそんなもんでは全く足りませんでした。
明日食べるお米がない
そんな時、私は友達の家を転々と渡り歩きだしたのです。
今で思うとうっとうしがられると思いますが、皆さん優しく迎えてくれてご飯やお風呂も…
農家の友達の家では、朝食からかなり豪華でした。これいつもなん???とびっくりするほど。
・漬物が4種類くらい
・煮物
・味噌汁
・海苔
・ふりかけ
・卵焼き
これが朝昼晩と…すごいと…うちは食べるお米もないというのをやんわりに現状を話すと、うちに去年のお米が余っているから安く分けてあげるよと言ってくれたのです。
早速母親に報告しました。その時から私は友達の家でお米を頂き、バイクでお米を持って帰り踏む(精米機にかける)係に。
本当に助かりました。お米はいくらでも手に入ったので私たち兄弟は餓えることが無くなりました。
とりあえずお米を炊いて母親が塩おにぎりを作ってくれているのでそれを腹いっぱい食べて大きくなっていきました。
おかずもないくらい貧乏なのに兄弟3人は真ん丸太って学校でも1・2を争うくらい…
貧乏なのに…
色々な人に助けられて生きてきた
本当に色々な人に助けられて生きてきたと思います。
地元の友達のご家族の方、私を見捨てなかった先生方。そして、再婚もせず女手一つで男三人兄弟を育て上げた母親。
自分もそれくらい誰かに手を差し伸べれる人間になりたかったのですが…
44歳無職ニートとは…
適応障害は涙も出なくなり不安はありますがだいぶ立ち直ってきました。
仕事を辞めて地元に帰ってきてすっきりしたのが一番良かったのだと思います。
あとは、私の自信が復活して就職が決まれば元通りの生活を送れると思っています…
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 明日食べるお米がない。父親が自殺してからの極貧生活 […]