ビズリーチのスカウトからハイクラスの転職に浮かれたのも束の間、入社してからわずか1ヶ月で適応障害になった竹久夢藤です。
その原因は、単身赴任で2人引継ぎ失敗しているという完全なアウェーの職場環境かの中、毎日のように続くパワハラ。
見て学べというレベルでもなくこんな状況でどうやって引き継ぎを進めればいいのか悩む日々が続いた結果適応障害に。
ハイクラス転職という仕事への期待を抱いてスタートを切りましたが、次第に心と体は追い詰められていった。
適応障害になっても休職することもできず、どうにか気合で乗り越えられないのか?会社が潰れてしまうといったプレッシャー。
社長からは「引き継ぎ相手も9月にはいなくなる。少し我慢しろ」と言われる中で、さらには「雇うのにどれだけの費用がかかったと思っているんだ」と責められる。
その度に、適応障害の症状は悪化し、涙が止まらない毎日。
不安に押しつぶされそうになりながらも、自分ではどうすることもできませんでした。
辞めたいという気持ちは日に日に強くなるが、なかなか辞めさせてもらえない。
診断書を持っていても、周りの理解は得られず、休むことすらできない日々。
適応障害という見えない重荷に苦しみながらも、出口が見えない日々を送っていました。
ようやく受理されたのが8月24日でした。ようやく辞められる…
引継ぎは26日に行うことになりました。で、退職日は8月20日??えっ?良いんですけどね…
もうそういう会社ですと割り切ります。21日に病院に行っていたのですが、後日、20日に切られてるということで健康保険が使えず実費請求が…
そして、退職日が決まり引き継ぎも済んだ後、いよいよ自由な生活が始まると期待していたけれど、家賃補助の話しが突然なくなり全額請求には正直驚いた。
転職後の新しい生活で、会社の家賃補助があるのはありがたい話だった。
しかし、引継ぎが完了した後になって、その補助が「なし」になることを告げられたのでした。
当初は家賃の半分を補助&初期費用も負担してくれるという条件で部屋を選び、生活費を計算していたため、この急な変更には戸惑いが。
「契約書に書いていなかったのか?」と自問自答するが、どうやら明確な取り決めは曖昧。
これもまた「適応障害」のきっかけの一つかもしれない。
契約や待遇の急な変更、不確実性の中で働き続けた結果、心も体も疲れ果てた。何とか引継ぎもこなし、退職した後、やっと落ち着くかと思いきや、またしてもこのようなトラブルに巻き込まれました。
辞めてよかった。
この経験を通して感じたことは、契約や条件の確認はどんなに小さなことでも重要だということ。
自分の生活を守るためには、口約束や暗黙の了解に頼るべきではないということです。
そして、どんなに小さなことでも、自分にとって不利益となるようなことがあるなら、それをしっかりと確認し、交渉する勇気を持つべきだと思う。
結局、家賃は全額自分で負担することになりましたが、この経験から「自分らしい生き方」について、改めて考え直すきっかけに。
これからは、条件や契約をしっかりと確認し、周囲の環境に流されず、自分のペースで生きていく決意を新たにしてます。
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