親友が亡くなったときの話しの続きを書きます。親友は私みたいな出張族で、大阪で数か月住んでいたのですが、親友にもようやく彼女ができて一年付き合い自分の誕生日に両親の顔合わせを計画していました。
2011年2月14日、早朝に珍しく親友の彼女から電話がかかってきたのです。
「○○○と一昨日から連絡が取れない」
という話しでした。親友は携帯の電池切れや持っていくのを忘れるタイプでいつものことでは?と思ったのですが、両親の顔合わせ日。
めったに電話をかけてこない親友の彼女からだからただ事ではないと思い、まずは親友に数回電話しました。
両親の顔合わせなのに…
連絡がつかないのでどうしようかと考えました。しかし、住んでいるアパートも会社の名刺も持ってない。会社の場所は知っているけど他県で移動に2時間、会社名は知らないし当時ググるなんて思いも…
私はちょうど出勤中でしたが、ただ事ではないので仕事を休むことにしました。
そして、両親の顔合わせということは親友の両親は連絡がないから家で待機しているはず!
もしかしたら住んでいるところや会社の名刺などあるかも??と思ったので親友の実家を訪ねることにしたのです。
そしたら親友の両親も何も連絡ないから朝から電話しているのに連絡取れないとのことでした。
なんで来たの?と聞かれたので親友の彼女から2日前から連絡が取れないと連絡があったと報告。
会社の名刺か何かで会社と連絡取れませんか?と聞いたところ、入社の書類を出してきて連絡できるとのことだったので住んでいる場所を教えてもらうことに。
不動産に聞いても事件性もないため家族や保証人しか開けられないとのことでした。
なので親友の両親と親友の彼女を乗せて一緒に大阪へ運転して行くことに。末っ子の親友の両親は高齢だったため、両親とも足が悪く長時間の運転もできそうにないので…
親友の彼女と両親の初めての顔合わせがこんなことに…車の中の3時間は地獄のような空気でした。
携帯の充電を忘れて寝てしまっているとか、携帯を落としてしまった。マリッジブルーになって逃げてるんだろう…
などいろいろなことを話しながら大阪へ。
最悪なことばかり思い浮かぶ…
お昼にはついたと思います。
嫌な予感は的中してしまったのです。親友は単身住んでいた大阪のアパートのトイレで亡くなっていたのでした。
死因は心筋梗塞。連絡が取れなくなる前日から風邪っぽくて体調が悪いと彼女に言っていたそうです。
色々症状を聞いていてそれが心筋梗塞の予兆だったんだと看護師の彼女はすごく後悔していました。
私もこんなことあるのか!!と絶望したのを記憶しています。
ここからは検視や色々あるので、親友の両親を残し私と親友の彼女は地元へ帰ることに。
2日後だったか記憶があいまいなのですが、地元でお葬式をするときに彼女のお父さんも一緒に来ていました。
親友のお母さんから
「竹久くん。無念じゃ。無念としか言えんわ」
と悲痛な言葉を聞きました。私も両親の顔合わせで2月14日バレンタイン生まれの誕生日に亡くなった(発見された)って本当にこんなことあるんか…
あの時のお母さんの顔は忘れません。
バレンタインのたびに思い出す親友の話しでした。
コメント