ビズリーチハイクラス転職2か月足らずで適応障害となってしまった竹久夢藤です。
主にX(旧Twitter)で色々ポストしていましたが、44歳にして適応障害となるとは…
無事?に8月20日無職となり無収入です。どうやって生きていけばいいんだ…
お給料はかなりよかったのですが、この適応障害を早く治したいので即刻辞めることを決断しました。
前職では120時間を軽く超え半年で家には帰らず休みは正月だけだった。
「仕事を泣きながらやって得るものはプライドと誇り」
という言葉の話を前回のブログで話しましたが、無理してやった結果このプライドと誇りを折られると簡単に病んでしまうと学びました。
得るものはプライドと誇り…
前職ではプラントの施工管理や機械製作リーダーをしていたと書きましたが、どんな仕事かあまり人に話ししません。
と、いうのも理解してもらえないからです…友達、家族にも仕事の話はあまりしません。
今日はそんな自分の前職仕事について書いていこうと思います。
プラントの施工管理というと、何だろうか?と皆さん思うかもですが、工場の生産ラインを想像してください。
その生産ラインを作るプロジェクトリーダーをしていました。
私が手掛けた工場の生産ラインといっても様々なものがあり、塗装、粉、売電、コンクリート、袋詰め…
皆さんの想像する食品関連とは若干違う感じの工事が多かったです。
大きな機械を大きなクレーンを使って順番に並べてつなげていくというイメージです。
クレーンを使ってプラモデルを作るのが私の仕事ですね。本当に面白い仕事でした。
そのプロジェクトリーダーをしていたのですが、現場の管理はもちろん、事務所作りから始まり外注さん、購入品、設計、工程、動き、仕様…
何もかも。考えるのが楽しかったです。本当に天職だと思います。
しかし、この仕事は石橋をたたいて渡るくらい慎重にやっていかないと後で大変な目に…
目を離すととんでもないことになるので最初から最後まで子供を育てるように仕事をこなしていきます。
見ていないと取り返しのつかないことに…
そのため、残業が多くなり1日丸々休みもなかなか取れないという感じに…
「仕事を泣きながらやって得るものはプライドと誇り」
この言葉気に入っているので最近よく使うのですが、仕事が終盤に差し掛かりエンドユーザーに渡る瞬間、子供が巣立っていくようなそんな感じに。
県外での仕事が多く出張ばかり。ここまで自身子供のことは妻にまかっせぱなしでした。
家族より仕事。そんな生活を送っていたのですが、身体が持ちませんでした。
休みなしで働いて、プロジェクトリーダーといって肉体労働も率先してやっていた私。
とうとう腰が悲鳴を上げ歩けなくなってしまいました。
そこに行くまでには、左ひざが痛くて胡坐がかけないように…膝やばいなって。
やばいけど仕事は終盤。ここを乗り越えたら病院へ行こう!
会社ではかつてないほど大きな仕事で途中で投げ出して抜けるという考えは全くありませんでした。
この大きさの仕事は今後ないだろうという風に思い泣きながら仕事を終わらし2週間のお休みをいただきました。
この間に病院へ行こう!そう思っていたのが休んだ3日目、全く立てなくなったのでした。
ぎっくり腰だと思っていたのですが、ここから1年休業することになってしまったのです…
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